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マカオ 2

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海を埋め立ててどんどん街を作る

マカオはマカオ半島と(旧)タイパ島があり、海を隔てて3本の道路で繋がっています。土地が小さく海に囲まれているため、埋め立てにより土地を増やしており、タイパ島側も、タイパ島とコロアネ島という2つの島の間が埋め立てられて一つの島になったのだそうです。特にタイパ島側ですが、車で走っていると、道のアップダウンが激しく、そこが昔は山だったことがよく分かりました。アップダウンが激しいところがかつての山、平なところが海を埋め立てたところ、と分かりやすいのだそうです。

街の変化

今回、マカオで生まれ育った友人二人に街を案内してもらっていたのですが、彼らの話によるとその埋め立ては近年どんどん進んでいて、タイパ島の観光地となっているところを歩いていても、「15-20年前くらいまではここは海と自然の空き地のようなところで、ここで花火して遊んでたんだけど、今は整えられて管理され、観光地化しているのでもう出来ない」と少し寂しそうでした。現在もマカオ半島側で大掛かりな埋め立て工事をしているのが空港から街への道中で見えたのですが、10年後くらいに来たら全く違う街になっているだろう、とのことでした。新しいカジノの建設もどんどん進んでいます。

案内してくれた二人は30前後の2人でしたが、ポルトガル領から中国領への変化も経験していて、まだまだ進行中の埋め立てや新しいカジノの建設もあり、5年、10年ですっかり違う街になってしまうのだそうです。

私は東京で生まれ育ち、街、特に建物や店の変化を日々目の当たりにしてきたように思います。最近も昔から知っている場所が一瞬にしてまるで全く知らない場所のように変化してしまう様子になんとなく寂しく感じていたのですが、マカオの友人の話を聞きながら街を歩くと、マカオで起きている変化の大きさやスピードはもっとすごいのではないかと想像されます。

個人的にはそうやって変わり続ける東京の中の"変わらない部分"の貴重さを大人になってから実感していますが、例えば数年不在にしている間に全く違う街になってしまったら、どんな気持ちなのだろうと、少なからず寂しい気持ちが残るのではないかと、想像しながらマカオの街を歩きました。

 

マカオ 1

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仕事でマカオに行っていました。世の中ではマカオ=カジノのイメージが強いような印象ですが、今回見てきたことを記録します。

これはマカオ内ではなく渡航前後の話ですが、今回驚いたことのひとつに、マカオの認知度の低さがありました。もちろん知っている人は知っていると思いますが、マカオの話をしたときに、どこだかよく分からないという友人知人が何人かいました。香港の隣、と言うとなるほど、と言う人が多かったです。人に言われて知ったのですが、日本では「香港・マカオ」と、必ず香港と一緒になっているのですね。

ポルトガルの名残り

中国本土にもポルトガルにも行ったことがないのですが、明らかに中国の影響ではないだろうな、というところを多く見かけました。ポルトガル領だったのは1999年までだそうで、中国領に戻ったのは本当に最近ですね。

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マカオの友人に聞いたら、やはりポルトガル+中国のミックスがマカオらしさ、というようなことを言っていました。

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ヨーロッパの石畳

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ここ(タイパ島の道の一部)に使われている石は、昔ヨーロッパから運ばれてきた石だそうです。なぜわざわざヨーロッパの石を使っているのか。それは、ヨーロッパから船で荷物を運んでくる際、船の底に石を積むことで荷物とのバランスを取っていたからだそうです。それマカオに捨てて帰っていったのを、現在石畳として使っているとのこと。だから古い石で出来た石畳なのだそうです。なるほど、と思いつつ、ただの石をヨーロッパから運んでいたと思うと、そのあたりの知識のない私は少し複雑な気持ちになります。。

続きます。そういえば泊まっていたのはカジノ街の中でしたが、ほとんどが中国本土からの観光客で溢れ、その中に少し欧米の人がいる、という感じで、朝から晩まで街に人がうろうろしていました。